我等が偉大なる年若き魔王様には、最近ちょっとした趣味が出来つつあった。

「んー……こんなもんかな?」

 暇さえあれば、というよりも、常に剣を振り回して飽くなき鍛練に励むか、ぶらりと意味があるのか無いのか「ちょっと散歩」どころではない旅に出始める年若き魔王。
 それが、最近では自らの屋敷に籠ることが多くなった。
 とは言っても、実際は半日を屋敷内で過ごしているだけなのだが、今までそのようなことが無かった為魔王の最近できた趣味を知らぬ魔族達の間では多くの噂が立ち込めていた。
 丁度時期が、得体の知れぬ半魔が魔王の屋敷に滞在する事になったのと被っていたから尚更だ。

「ええ、凄く良いと思うわ」
「ジュディ、早いな」
「貴方に早く会いたくてね」

 多くは魔王の身を案じるものだったが、それらには大変申し訳無いと噂が出始め間もなくジュディスは思っていた。
 現魔王に気に入られ、傍に居ることを許された数少ない者の一。
 屋敷にも部屋を与えられているジュディスはしかし真実(魔王の新たな趣味)を他の者に伝える気は毛頭無かった。
 何故なら噂は一ヶ月前に外からふらりとやって来た半魔中心の、喜ばしくない妄想の入った噂話だけではなかったからだ。
 例えばジュディスが魔王の子を遂に身籠り、誕生を今か今かと待ちわびているのではと言うものや、実はジュディスが遂に魔王に身籠らせたのではないかという、聞いていて大変愉快な話等々。
 否定も肯定もしないジュディスの態度は周りの噂を助長させた。
 罪悪感を感じつつ、それでも教える気の全くないジュディス。

「それで、コレは何なのかしら?」

 魔王の趣味の傑作を指して言うと、魔王は呆れたように言った。

「……おい。知ってて良いって言ったんじゃねぇのかよ」
「貴方が作るものなら何でも良いものよ」

 にこりと微笑んだジュディスに、魔王はやれやれと肩を下ろした。
 反論は無駄だとわかっているのでそれ以上は突っ込まない。

「これはクッキー。だってさ」

 黒い鉄板の上に並んだ焼き菓子を指して魔王言った。
 焼き菓子。
 他の魔族が聞けば何事かと問うだろうそれは、例の半魔が滞在の折りに魔王へ献上した甘味の一種だ。
 人間には馴染みの甘味だが、魔族には縁の無いそれ。
 魔王はそれが大層気に入り、半魔を講師に自ら作り始めた。
 クッキーは今回初めてだが、「シャーベット」や「プリン」、「ケーキ」など、既に色々と作っていて、馴染みの魔族に毎日のように振る舞っている。
 屋敷から出なくなったのはつまり、菓子作りと、その後のティータイムの為だ。

「ふぅん。また例のおじ様に教えて貰ったの?」

 ジュディスが問うと頷いた。

「ああ、今回は作り方だけな。あのおっさん、匂いが駄目とか言って逃げやがった」
「あら、もったいないわね」
「だよな」
「……でも、大丈夫かしら」
「なにが?」

 件の半魔を思い浮かべる。
 約一ヶ月前という最近、ここにやって来た半魔。
 人間と魔族、どちらにも属さないと自ら名乗った男は外――帝都からやってきたらしい。
 帝都。この世界で一番人口の多い場所。
 魔王がそこの話を興味深く、楽し気に聞いていたから水を指すことはしなかったが、他の魔族らが言うよう怪しい。

「……例えば、貴方はレシピ通りに作っていても、この中には私達の知らない毒が入っていたり、とか」

 他と比べて帝都は魔族に対しての自警団組織の活動が活発だ。
 その帝都からやって来た半魔。
 どんなに魔力を持っていようが、半魔。
 元は人間なのだ。
 どうして魔力を必要以上に手にし、魔に属する事になったのかは知らないが、元は人間。敵だ。

「その点は大丈夫だろ」
「悪いけれど、どの辺りで判断しているのかしら?」

 一応、半魔は魔王に従事てはいる。
 人間のように嘘を吐くような真似もしていない。
 が、この状況はおかしい。
 たかだか「嫌いな匂いが充満している」くらいの理由で魔族が魔王の傍から離れるなど信じられないことだ。

「オレが先に、そんなに嫌なら出てけば。つったからな。ホントに出てくとは思わなかったけど」
「でも、」
「それに毒味なら、」
「おややぁ〜ん。オレ様の事噂してるのはソコのお二方かな?」

 件の男がひょいと顔を出した。
 無精髭を生やした、だらしのない服を着こなすボサボサ頭。
 正に「おっさん」の風体の半魔は、甘い匂いの充満する部屋から一歩出た状態でだが調子良く言った。

「なになに?カッコ良くて素敵ィって話?もっとしてくれても構わないのよん。ついでにレイヴンって名前で呼んでくれても……」
「いやぁホントにおっさんは胡散臭いな。天下一品の胡散臭さだ」
「おじ様には敵わないわね」
「オレ様の魔王様と女神様は所謂ツンデレってヤツかしら」
「誰が誰のだって?」
「魔王様も私も私のものよ、おじ様」
「ジュディ、お前のでもないからな」
「あら残念」

 くすくすと笑うジュディスと、呆れ顔の魔王の、それでも美しい造形に見惚れながらレイヴンはおやと首を捻った。

「あれ?ねぇところでリタっちは?」

 いつもならば見える影が無く問うと、魔王が答えた。

「リタならあっち」

 魔王が指した方を見ると、そこには少女が一人、黙々と出来立てのクッキーを食べていた。

「あらリタ、居たの?」
「まぁね」
「ちょっとぉー、リタっちったら挨拶くらいしなさいよ」
「うっさい。あたしはまだアンタを信用してないんだからね」

 もごもごと口を動かしながら言うリタは目付きだけは鋭くレイヴンを睨み付けた。

「えぇー?おっさんは無害でしょぉー?」
「フンっ、まぁコレに毒は入って無いみたいね。悪くないわ」
「一応、それ作ったのオレなんだけど」
「もしかしたら熱反応で毒が生成される物かもしれないじゃない」

 言って、新たな欠片を口に放り込んだ。

「それに、……一個二個は、平気でも、……一定量で反応、でるかも、でしょ」

 口に物を入れたままそう言っていたリタは漸く水を口に入れた。

「……、まぁ、大丈夫そうね」
「因みにどれくらい試したの?」
「鉄板一枚くらい」
「なるほど。毒味は完璧ね」
「ちょっとぉ、酷くなぁい?おっさんはしないわよそんなこと」
「用心に越したことはないわ」

 再びフンと鼻を鳴らし腕を組んだリタは未だレイヴンを睨んでいる。

「それよりアンタ。どうせ食べないんだから寄らないでくれる?」
「ひどっ!ちょっと顔見せただけじゃない!魔王様とジュディスちゃんの麗しい姿をちょこっと堪能してるだけじゃない!」
「おいリタ、そんなおっさんほっとけ」

 魔王の一声に、リタは素直にレイヴンから視線を離して、くるりと新たな鉄板に目を向けた。

「全部焼けたの?」
「ああ」

 ざらりと皿に開け、山を作るとひょいとそれを持ち上げた。

「ジュディ、茶、頼む」
「わかったわ」
「あたしの分もね」
「あっ、おっさんにもー」
「ふふっ、わかってるわ」

 ジュディスは残り、お茶を汲んでいる間に魔王達はテラスに出た。
 心地好い風が緩やかに吹き抜けるそこに作られた、正にお茶会の為の空間。
 それなりの大きさの机に、幾つもの椅子。
 それぞれが腰を下ろし一息をいれた。

「いやぁー優雅ねぇ、こんなところでお茶なんて」
「アンタは呼んでないけどね」
「いいじゃないお茶くらい」
「フンっ」

 リタとレイヴンのやり取りにカラカラと笑いながら魔王は、別に持っていた一枚の小さな皿にクッキーを分け置いた。
 自分の隣の空席の前にちょんと、ほんの数枚だけ。

「お茶、入ったわよ」
「サンキュ」

 遅れてやってきたジュディスが盆の上からカップを置いていく。
 机の上には五つのカップが並んだ。

「早く食べましょ」
「まだ食べるの?」

 鉄板一枚分食べたと聞いたからもうお茶だけだろうと思っていたリタが急かし、ジュディスは目を丸くした。

「当っ然」
「よかったなおっさん。好評だ」
「作ったのは魔王様だけどね」
「当っ然」

 にやりと言った魔王に、皆が小さく笑った。

「そんじゃま、いただきますか」

 魔王が言い、大皿のクッキーを一枚手に取ったのを合図に、皆の手も動き出し本日のお茶会が始まった。
 初めて作った焼き菓子の感想を言い合ったり、レイヴンの珍しい話を聞いたり、他愛のない会話を弾ませ――あっという間に時間が経つ。
 なんだかんだと言いつつも、レイヴンも含め和気藹々と過ごす時間。
 一頻り食べ、話し、お茶も尽きた。
 残っているのはカップ一杯の冷えたお茶と、数枚の焼き菓子だけ。

「――そろそろお開きにしましょうか」
「じゃ、片付けとくわね」
「ああ」

 ジュディスに続いてリタが立ち上がった。
 盆に空になった食器を積み、席を離れる。

「おじ様、手伝ってくれない?」
「ジュディスちゃんの頼みなら喜んで〜」

 レイヴンも席を立ち、ジュディスたちに続いた。

「先に行ってるわ」
「ああ、頼んだ」

 短くやり取りし、テラスには魔王が一人残った。
 暫くぼんやりと皆の背を見ていたが、長く息を吐き俯く。

「…………長いなぁ」

 独りになってそう呟くと、魔王はこてんと頭を机に着いた。

「……来る……よな……?」

 顔を横に、一人分の冷えた茶と菓子を眺める。

「結構上手く作れてるはずなんだけど、食べるかな?おっさんみたいに嫌いじゃねぇといいんだけど……」

 魔王はクスクスと、独り小さく笑った。
 どこか悲し気に、魔王は笑った。



「ねぇ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」

 魔王と別れ、台所で片付けをしていたレイヴンがふと言った。

「……何の事かしら?」
「アレ。いつもの、お茶とお菓子。なんなの?」
「アンタには関係無いでしょ」

 リタは何故か酷く不機嫌そうで不思議に思う。
 この話をするといつもそうだ。

「……だって、いっつもじゃない。気になるわよ」

 いつも一つ余計に置かれたお茶と皿。
 魔王が菓子を作り、お茶会を始めたその日からいつもある。
 初日二日目三日目と、魔王やリタたちに振ってみても曖昧に誤魔化され、ついに茶会の席で口にすることはしなくなったが、それでももう一ヶ月近く欠かさず用意されるそれにレイヴンは首を傾げるばかりだ。

「いいじゃない、オレになんか知られちゃ不味いことなの?」
「さあね」

 素っ気なく返され、いつもと同じ様に終らされる会話にまたかと小さく息を吐いた。

「でも、そうね……もうすぐわかるわ」
「……え?」

 が、今日は少し違った。

「あと、もう少し……もし貴方がここに居るなら、わかるわ」
「どういうこと?」

 しかし意味がわからない。
 複雑な笑みを浮かべたジュディスとは違い、リタからは隠しきれない苛立ちが見えた。

「そのまんまの意味よ」
「もうすぐ二ヶ月経つから、ね」
「アンタも覚悟しときなさい」
「逃げるなら今のうちよ」
「ぇえ?どういうこと?」

 折角の新しい情報だが、全く意味がわからない。
 彼女らにレイヴンはひたすら疑問の声を上げたが、それ以上は返ってこなかった。
 その意味を知るのは数日後。
 訪れた客人と彼らの奇妙な関係を目の当たりにするまで、レイヴンは魔王に請われるまま外の話をし、茶菓子の作り方を教えた。
 このお茶会が少し賑やかに、そして短くなるのは、もう暫く後の話。