好きです。きっと、
あなたが思っているよりそれよりずっと
一日目。彼は何をしているのだろうかと考えた。恐らくギルドの仕事だろうと結論は直ぐに出てしまい時間はなかなか進まなかった。
二日目。再び彼は何をしているのだろうかと考えた。今度は前日の反省も生かし、時間毎の彼の行動を考えた。全く私を想ってくれる彼の時間が想像出来なくて、途中悲しくなって止めた。余計時間が長く感じた。
三日目。二日間の反省を生かして、出来る限り彼を想わないように努めた。しかし努めているとはつまり常に彼の事を考えているのと同義で、ふと会いたいと何度も想っては気を静めた。
四日目。会いたい。声だけでも聞きたい。足を延ばせば会える距離にいる為、何度も立ち上がりかける自分を叱咤した。私は随分と彼に溺れているらしい。
五日目。もう会いに行っても良いのだろうか。そればかり考えては己の自制心を奮起させた。意識的に会わないようにするのは辛いと今更ながらに思った。
六日目。今日も長い一日が始まると起きた朝、珍しい客が現れた。
「デューク、お久しぶりです」
「クローム……いや、シルフ、だったか」
「はい」
かつて始祖の隷長だったクロームが、彼らの働きで精霊という存在に変化し新たに名付けられた名を呼ぶと覚えのある抑揚で答えが返ってくる。
「……不思議なものだ」
「そうですね。私が私として貴方とこうして相対するのも、貴方にその名で呼ばれるのも……。しかし私はそれを嬉しく思います。即ち世界が続いているということ。貴方が今を生きているという事。私は嬉しく思います」
懐かしい語り口に、時間にすればほんの少し前だろうが随分昔のことを思い出すような気分に浸る。
まだ、世界の色が変わる前――。
「早速ですが、我らが宿主からの言伝てが有り参りました」
「言伝て?」
「はい」
宿主。
該当するのは満月の子。
満月の子は彼と行動を共にする彼の仲間だ。
顔を会わせる度に向けられる視線は決して悪意では無いが好意でもない。
それが私になんの用だと言うのか。
無言で先を促すと、風の精霊は端的に述べた。
「ユーリに会いに来てください。――以上です」
「……」
惚けた。
思考の、回転が、酷く、今、鈍い。
「……なに?」
「ユーリ・ローウェルに会いに来て欲しいと」
会いに来て欲しい?
会いに、来て、欲しい?
会いに、……………………。
「……なんだそれは」
イラリとした。
自分は会いたい気持ちを抑えて苦行とも言える日々を過ごしているのに、何故。これが彼からの言伝てならば話は別だが、第三者から。
帰れ。と、一言告げる前に、シルフは一言発した。
「彼の様子がおかしいようです」
「……なに?」
様子が、おかしい?
苛立ちは治まったが、今度は不安が湧いてきた。
様子がおかしいというのはどのようなものか。
具合が悪いのか、なんなのか。
「……わかった」
六日も離れていたのだ。
彼の身に何があってもおかしくはない。
「直ぐに行く」
彼の大事に駆け付けぬわけにはいかない。
可能な限り急ぎ、街へ向かった。
息を切らし、彼の無事を祈り駆け付けた私を待っていたのは彼の仲間だった。
「早くユーリに会ってあげて!」
少年。
「どうせまたアンタのせいなんだから、なんとかしなさい」
少女。
「もう見てられません……」
満月の子。
「というか被害が酷いの。なんとかして頂戴」
ヘルメスの娘。
いったい何が起きたというのか。
理由を説明される間も無く通された部屋には一人、彼が机に向かって頬杖を付いていた。
なにか考え事をしていたようで、身動ぎ一つしない。
それが私に気が付く前の様子。
部屋に数歩足を踏入れると視線だけがこちらに向けられて、まず目があった。
「っ、デューク!」
次いでガタンと椅子を撥ね飛ばす勢いで彼は立ち上がった。
こちらに体ごと向き直り、足を踏み出し――彼は固まった。
カチリと、擬音が聞こえるほど不自然に彼は体の動きを止めた。
確かに、これだけ見れば何かの奇病かとも思うが違うだろう。
垣間見えたのは戸惑いだ。
こちらに伸ばそうとしたのか不自然に宙で止まり、ぎこちなく下ろされた腕。
中途半端に開き、閉じた口は小さな音を出している。
「……どうした」
「ぇー、ぁー、いや、うん、べつに、……ぅー……」
聞き取れない言葉には意味があるのか無いのか、……恐らく意味は無いだろう。
ただ一つはっきりしているのは、「らしくない」事だけだ。
彼らしくない。
彼の全てを知っているわけではないが、らしくないと思った。
此方を伺い、何度も視線を向けては反らす様。
常の彼ならば真っ直ぐ、此方が居たたまれなくなるほど真っ直ぐに視線を向けてくる筈だ。
それに、口の中で転がす音。
常の彼ならば言葉に悩み、詰まらせていたとしても、もっとはっきりと音を出す筈だ。
と、暫く様子を窺っていると、彼は意を決したかのように拳を強く握り、真っ直ぐ私を見詰め、
「よしっ、来い!」
「…………?」
と、仁王立ちする青年。
なんだと不思議に思いながら、珍しく言葉で誘われたのに甘えて足を踏み出し、距離を零にした。
久しぶりの彼の暖かさを腕と胸で感じながら、胸に空いたなにかが満たされていく。
やはり、六日は長い。
暫く振りの彼の感触、温もりは手離し難く、より近くに溶け合うほどに寄り添いたいと邪な考えが湧く。
彼は違うのだろうか。
彼の身体は何故か強張り、そのまま動かない。
彼の頭に擦り寄せていた頬をそっと離し顔を窺うと、ぎゅっと頑なに目を閉じている。
眉間には皺が寄り、なにかに堪えるように震えていた。
どこか必死なその様が何故だか非常に可愛らしく見え、ついと。
つい、と。
押し当ててしまった。
自分の、唇を。
彼の、眉間に。
有ろう事か、その、寄った皺に吸い付き、あからさまに、音を立てた。
仕出かした失態には言葉も出ない。
以前も同じく衝動的に、関係の成っていない彼を許可無く腕に抱いてしまった自分には、つくづく自制心というものが欠けているようだ。
今後は一層気を付けねばなるまい。
いや、今後よりも問題は今だ。
「……」
目と鼻の先で目を丸くする彼。
「……、今、なにした?」
本当に居たたまれなくなり、顔を反らして彼の頭の横に首を捻った。
離れれば良いものを、彼を惜しんで腕が離れてくれない。
ああ、なんて愚かなのだろうか。
「……その、……キス、を……」
上、正直に答える自分は愚かの一言で片付けるのも愚かしい。
「……」
聞こえない声が痛く胸に刺さっている気がする。
この窮地とも言える状況をどのように切り抜ければ良いのか。
具体的な案など出る筈もなく、「どうすれば」という思いだけが頭を回り、なんの反応も取れなかった。
そこに、
「……デューク、」
耳元での、彼の声。
顔を反らした為に、耳が、彼の声を間近に拾った。
余りにも近く、脳に直接伝えられたような音に身体が小さく跳ねた。
それを自覚し、何故か顔に熱が集まる。
発せられたのは自分の名で、ただ呼び掛けられただけなのにだ。
どうすれば良いのかわからない。
「なぁ、聞いてるか?」
いつの間にか背に回された手が背中を軽く叩く。
「デューク、」
「…………なんだ」
二度目の呼び掛けに、なんとか絞り出した声は自分のものではない気がした。
何を言われるのかと、心臓が大きく脈打っていたのが、刹那の間止まった。
「今の、もう一回」
イマノ、モウイッカイ。
それが知っている単語に変換された瞬間、今まで以上に顔が火を上げるかのよう熱く火照った。
今の、今とはおそらくさっきのことで、さっきの事とはつまりキスの事で、それをもう一回というのはもう一度ということで、即ちキスを強請られたということなのだろうか。
つい先日に、自らが望んでいた展開が訪れたというのに、驚きと胸に競り上がるなにかによって反応がとれない。
「一日一回なんて決まりないだろ?」
「あ、ぁ、まぁ……」
「それとも……嫌か?」
「そんなことはないっ」
しかし、不安気に尋ねられた問いには間髪入れずに返し、勢いで彼の肩を掴む様に向き直っていたからそうでもないのかもしれない。
「お、おう、そっか。ならいいけど……」
そう言うと、彼は私を軽く見上げたまま口を閉じた。
じっと、彼が見詰める視線の先は私の口の辺り。
口付けを待っているのだと理解するには時間はかからなかったがしかし。
改めて彼の言葉を反芻する。
今の、もう一回。
キスを強請られたのはわかった。
だが、「今の」、と付くからには今の、なのだろうか。
先程のを、そのまま再現して欲しいのか。
彼の、今は閉じている唇に触れるのはいけないのだろうか。
「もう一回」と付くからには、現時点では、あと一度しか許されていないのだろうか。
「……しないのか?」
考える暇はくれないらしい。
「いや、」
もちろん折角の申し出を断るつもりはない。
「だが、一つ、頼む」
真っ直ぐな目で先を促され、ついと少し、目を反らしてしまう。
「その……、目を、閉じてくれないか」
「なんで?」
そんな事、私が知りたい。
ただその目に見られながらするというのはどうも考えただけで顔が熱を持つ。
とは思ってもそれを口にできる筈もなく、別の言葉を何とか紡ぐ。
「……、さっきは、……そう、だった筈だ」
先程の行為の再現を狙っていると思われる彼に、苦し紛れにそう答えると納得されてしまった。
「なるほど」
そこは納得しないで欲しかった。などとよくわからない欲求に胸がまたもやりとする。
素直に目を閉じる彼に、再び複雑な思いを抱く。
だが、この機は逃せない。
彼の髪に手を差し込み、数度、サラリと指に絡まる髪を弄び頭部を包むように支えた。
目を閉じて、ただ受身に徹している彼はどこまでも無防備で、愛しく、不安になる。
私は、どこか間違えていないだろうか。
人として、彼を愛してやれているのか。
「……デューク?」
小さく呼ばれたのには返さずふと過った不安を呑みこんで、応えるようにそのまま、唇を、彼の額に軽く押し付けた。
頭蓋の確かに感じる固い感触よりも直接触れる、柔らかくも張りのある滑らかな肌の感触が気持ち良く、小さく身動ぎした彼が言い表し難くも愛しい。
しかし一度と言う約束。
再び彼に唇を落としたい欲求を抑えて、今度こそ腕を離した。
「……」
「……」
「……今、したんだよな?」
目を丸くしている彼の、わざわざの確認に、自分の何かが揺らぐ。
「……一応」
「ふーん……これで終わりなのか?」
まるで誘っているような口上。
否、誘われているとしか思えない口上。
でなければ、何かを試されている気がした。
これで終わりになどしたくない私を試しているのか、なんなのか、
「お前が、望むなら……」
真意がわからず、精一杯の自制を利かせて彼に答えを委ねた。
私の欲は隠しきれず、彼の髪に指を絡ませ、軽く引き留めているが、それだけといえばそれだけだ。
直ぐに離れられる、距離に居る。
心の、距離も置いたつもりだ。
彼は無言のまま、そんな私を見ていた。
数度、瞬きを繰り返し、真っ直ぐな目で、私を捕らえていた。
――暫くの沈黙。
彼の瞼が、ゆっくりと落ちた。
それに誘われ、私の瞼も落ちる。
暗闇の視界で、誘われるがままに同じ場所に口付けを落とす。
額にかかる髪がこそばゆくも気持ちよく、二度三度とゆっくり、少し場所をずらしながら額に口付けた。
「……なんか、――いいな、これ」
私の唇に自ら押し付けるように身動いだ彼を、そっと腕に抱けば、抱き返される。
唇で触れる度に何故か小さく笑い、擦り寄る彼の額に、口付けを送り続けた。
――結局。
彼の仲間が何の為に何故私を呼んだのかは分からず終いだったのだが、彼らは別れ際に感謝を表す言葉を私に投げた。
「ありがとう……助かったよ」
「やっぱりまたアンタのせいだったんじゃないの?……まぁ、助かったけど」
「良かった……。デューク、ありがとうございました」
「お礼を言うのも変かもしれないけど、ありがとう」
彼らが言うには、私が来る前と来た後では様子が違うようだが、私にはさっぱり分からなかった。
唯一私に分かる彼の変化と言えば、以降彼が私に強請るものが一つ増えたことだ。
額に向けての軽いものだけだが、それでも一つの段階を超えたことは確か。
何時になったら唇へのキスが許されるのか、してもいいのか。
そう変わらぬ欲はあるが、それでも、これでも、これだけで一つ心が満たされる。
暫くはこのままでもよいと思えるほど、幾ら彼にキスを送っても飽きはなく、これなら彼との想いの差が埋まるまでの時間が稼げるだろうと人知れず胸の内で安堵の息をそっと吐いていた。