綺麗。
それが第一印象だった。
『ユーリ、紹介しよう。デューク・バンタレイ、私の勇者であり友人だ』
『勇者?』
『そう、私の勇者』
『ふぅん……』
『友よ、紹介しよう、この子が私のユーリ。良くしてやってくれ』
エルシフルに友と呼ばれた人間は、人間なのにスゴく綺麗だった。
目が覚めた。
昔のことは夢に見なくてもよく覚えている。
あまりの綺麗さに呆けていたところを本人に叩き起こされ、誰しもやはり外見で判断するものじゃないなとつくづく思ったものだ。
あれからもう何年だろうか。
ユーリがそう懐かしい思い出に浸っていると、不意に戸が数回鳴らされた。
「ユーリ、起きていますか?」
「起きてるよ」
「フェローがいらしています」
「フェローが?」
予想外の珍客に跳ね起き、急いで身支度を調え外に出た。
しかし文字通り、外に出た。
クロームがノックした扉とは逆位置にある窓。
空と深い緑が覗く、地の見えぬその窓を開けてユーリは飛び降りた。
「よっ」
軽く縁を蹴り、宙に踏み出す。
途端重力に引かれ落ちていく身体は、不意に視界に現れた朱にビクリと強張った。
『魔王』
「っ、ぅおっ!」
予想もしていなかった所でぼふりとふわふわの羽に包まれた。
燃えているように揺れる金の混じった朱。
目一杯に広がるそれは見慣れたものだ。
『扉と窓の違いも解らぬのか』
直接頭に響くような、空気を強く震わせているような不思議な声は魔王を窘めるように言った。
ふわふわとした朱色を痛めぬように掴みながら体勢を整え見渡せば、この声の主の大きな背に乗っていることがわかった。
『羽を持たぬ身で空を飛ぶなど、些か興が過ぎるな』
大きな体躯に見合った大きく丈夫な羽を持つ、声の主である巨鳥に言われた魔王はその背の上で平気だと笑った。
「これくらいの高さなら余裕だって」
『過信するな。お前は小さいのだから』
すかさず返され、声の主なりに心配しているのはわかったが「小さい」の単語に魔王は顔をしかめた。
「小さいって……そんな小さくもないだろ。ガキ扱いすんなよ」
『その心意は無かった』
本当にそんな積りは無かったのだろう、声は平淡に言った。
まぁいいかと一つ吐き出すと、魔王は自分の身を隠す豊かな羽根から這い出、自分の倍以上あるその背から下りた。
「フェロー」
呼び掛けに、巨鳥の姿をしたフェローは長い首を曲げ、頭を魔王の前に寄せた。
等身ほどあるそれを魔王は小さな手で撫でる。
暫く心地よさげに、瞳を閉じていたフェローが、ゆっくりと頭をもたげた。
「やっぱ外にいたのか」
彼らなりの挨拶を済ませると開口一番、魔王が言った。
元々魔王がフェローが来ていると聞いて窓から飛び降りたのは、フェローが屋敷の客間ではなく外に居ると踏んだからだ。
人型仕様に造られた屋敷に、フェローが足を入れたことは数えるほどしかない。
先代に匹敵する魔力を持ちながら人型を取らないフェロー。
それが人間嫌いから来ているのは知っているから、単に予想が当たっていた事に対しての発言だったが、フェローは違うように捕らえたようで少し不機嫌そうに応えた。
『人型を取らねば入れぬ館が悪い』
「悪いだなんのの話じゃねぇんだけど……」
『お前には悪いが、行いから姿形まで人間は好きになれん。……一部を除いてな』
最後に加えられた台詞の中には前魔王の友人も入っているのだろう。
昔は皆でよく団欒したものだ。
「――で、なんかあったのか?」
昔、昔の思い出に浸ってしまう前に魔王は切り出した。
海向こうの高山に住まうフェローがここまで来ることは滅多に無い。
用が有るときは必ず一報入れてから来るが、それも無かった筈だ。
何か変異があったのだろうかと声を掛ければ、フェローは低く笑った。
「なんだよ」
『それはお前だろう』
「なに?」
『クロームが心配していた。検討違いにも、此方に持ち掛けて来たぞ』
愉快気に笑うフェローに魔王は「そんなことか」と笑った。
「べつになんもねぇよ。ただ、オレの勇者を呼んだだけ」
魔王のカラカラとした声に、フェローの笑い声がピタリと止んだ。
魔王を見詰めるその瞳に、ふと憂いが僅かに生じる。
『…………そうか、もう、そんなに経つのか』
「ああ、そろそろアンタも呼ぼうと思ってたところだよ」
魔王は静かに笑いながら応えた。
『……そう、か……』
視界を閉ざし、過去を振り返れば刹那に終わる。
元より共に過ごした時間さえ自らの一生と比べてしまえば瞬きの間に等しい。
それでも、長く、そして酷く短く感じるこの数年。
「まだ」という思いと、「早く」という矛盾した思いがようやっと終わりを迎えるのは喜ぶべき事なのか、それとも――今はもう何も言えない。
『――お前の無事を祈ろう』
厳かに紡がれた台詞。
改めて言われた台詞に、魔王は心が少し軽くなったように感じた。
フェローは帝都から来る者の事を知っている。
元より、彼らを呼ぶ事を提案してくれたのはフェローだ。
先代魔王の古くからの友、フェロー。
小さい頃から世話になっているせいか、第二の父親のような存在だ。
引き継ぐ筈の無い証を引き継いでしまったのに、変わらずよくしてくれとても感謝している。
本当に、一縷の希望を彼が教えてくれなければ、今どうしていただろうか。
誰が死ぬか、生きるか、まだ誰にもわからない。
――魔王はまだ、死ぬつもりはなかった。
以前リタに言ったように、まだ諦めてなどいない。
足掻くつもりだ。
それが、どんな手段でも。
「……ありがとな、フェロー」
心からの言葉だった。
『止せ、礼など似合わん』
「そう言うなって」
カラカラと笑い続ける魔王。
フェローは目を細めてその様子を見詰めていた。
笑う魔王を見てフェローが思い出すのは先代、エルシフルが亡くなる前。
あの時まで、この小さな魔王はまだ魔王ではなかった。
こんな風に、笑うことも無かった。
彼はもっと不器用に笑う小さな子だった。
「――なに、考えてる?」
クスクスと口許で笑う魔王に、フェローは思考を止めた。
『いや、要らぬお節介というものよ』
「そりゃ口に出さなくてせいか、ぃ……」
ふと、魔王が不自然に言葉を止めあらぬ方を見やった。
『何か?』
ただならぬ魔王の様子に、フェローは同じ方向に意識を向けた。
何か、感じるとすれば恐らく中の上クラスの魔族が三。
それから――、
「……フェロー、頼む」
『……』
ただ一言だけの頼みをフェローは正確に読み取っていたがしかし、数が合わない。
『……恐らく、お前の気に入りの者も客人と共にいるだろうが、どうする』
魔王は小さく舌打ちするとフェローに背を向けた。
「できたら追い返してくれ。お客さんを除いてな」
『お前はどうする』
「……元々、こっちに来るまでまだ時間はあるんだ。飯食い終わったら暫く気晴らしに素振りでもしてる」
片手を振り上げながら、屋敷に戻って行く。
行きと違い帰りは地上かららしく、外と中を隔てる扉の前に立つと、フェローに振り返った。
「よろしく」
『……伝えておこう』
朱色がバサリと広がり羽ばたいた。
しかし風は起こらない。
そのまま美しい翼を動かして、静かにフェローは舞い上がっていく。
『何かあれば呼べ。直ぐに向かう』
高く高く、空高く翼を広げた巨鳥が舞うがその声は先までと変わらず良く響き聞こえる。
全て魔力の成せる技。
魔王は何も返さなかった。
返した所で、フェローには聞こえない。
魔王は相手に言葉を飛ばす術も意思を飛ばす術も知らない。
魔力は有れど、できることは限られている。
できること。
自分にできること。
どんな状況だろうが、自分はまだ生きている。
できるだけの事を、できる限りを尽くしてすればきっと――。
魔王は考えを振り払うように首を振った。
幾度と無くそう己を奮い起たせていたが、今はもうその必要がなくなったのだ。
もうどんな手段を、結果を考えようと全て動き出している。
「オレの勇者、か……」
向かって来ているらしい存在に全てを掛ける。
魔王と勇者の運命。
先代でさえ逆らうことのできなかった運命。
しかしそれが皮肉にも新たな道を示してくれた。
「……抗ってやろうじゃねぇか」
魔王は不敵な笑みを溢し、踵を返した。back
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