夜が明けた。
 いや、明けていた。

「……っ」

 どさりと膝を着いたデュークは己の無力を悔いた。
 人である己にはこの、途方もない魔力の渦から成る術を破る術はない。
 何故、己は人なのか。
 類いまれない容姿。血色の瞳に色素の薄い髪と肌。
 魔性の者だと陰で囁かれていたけれども、間違う事なき血の繋がりは人のもの。
 幾度となく願ってもそれは変わること無く、己の無力を突き付けた。
 それでも、今この時程それを憎く、悔いたことは無い。
 何故、己は人なのか。
 ――いくら嘆いても、変わることなどなにも無い。
 薄明かりが射し込む中、デュークはぼんやりと立ち上がった。
 出来ることなど、なにも無い。
 小さな人間一人に、何ができると言うのか。
 なにも、無い。
 ふぅっと身を翻したその時。

「あら、帰るの?」

 聞いたことのある声。
 デュークは振り返った。

「私は、少し貴方を買い被り過ぎていたのかしら?」

 青い髪を高く纏め、細い首に豊満な胸、くびれた腰に形の良い足。
 美しい身体の線を惜しむこと無く全てさらけ出したような衣装に身を包んだ女性。

「お前は……」
「お久しぶりね」

 女性――ジュディスは微笑んだ。

「貴方、どうするつもり?」
「どう……とは?」

 心ここにあらずといった声に、ジュディスは呆れるより他に無かった。

「呆れた。なんでこんな人間が好きなのかしら、私の魔王様は」
「なに勝手にアンタのにしてんのよ」

 ガサリと音を立てながら、遅れてリタが森から出てきた。

「でも、こんな人間ってのは賛成ね。随分腑抜けた顔してるじゃないの、生意気」
「そうよね。どう考えても私たちの方が悲しむべきよ」
「……お前達、何の用だ」

 流石に眉間に皺を寄せたデュークにリタが応えた。

「結論から言えば、手を貸しなさい」

 何事かと問う前に、デュークの両脇に二人が並んだ。

「とりあえず、近くの宿にでも行きましょうか」
「代金はアンタ持ちね」
「わかってるとは思うけれど、私たちお金は持ってないの」
「何を……っ!」

 ばさりと羽ばたきの音がしたかと思えば三人は宙に浮いていた。
 ジュディスとリタがそれぞれデュークの肩を持ってその背に生えた羽で空に向かっている。

「くっ……アンタ、見かけによらず重いわね」
「仕方がないわリタ。これもあの方の為よ。まぁ、三回くらいなら落としても良いとは思うけど」

 ふふっ、と笑ったジュディスにリタは「ああ」と声を上げた。

「なんだっけ、『仏の顔も三度まで』。だっけ?」
「ええ、三回までは何をしても構わないという人間の寛大な心を表している素晴らしい言葉よ」
「あたしだったらぶっ飛ばすけど」
「私もよ。でも、デュークは人間だから許してくれるでしょう?」
「……先ほどから随分な言われような気がするが、気のせいだろうか」

 今まで口を出さずに居たものの、流石に居心地悪く発言したデュークにジュディスはしらっと応えた。

「私の魔王様に手を出すような人にはこれくらいで調度いいと思うけど?」
「っぅ……」

 途端、デュークは己の左肩にくい込む物凄い力に呻いた。
 刹那、左側から怒声が響く。

「だから、勝手にアンタのにしないでよねっ!」
「……不本意ながら全面的にモルディオの意見に同意する」
「あら酷い」

 クスクスと笑う女の声が空に溶けた。








「……なんでしょう?」

 白いドレス。
 魔族の多い、この辺境では些か奇異な出で立ち。
 一目で貴族とわかる女性だ。
 歳は若く、幼い顔立ち。
 身分はそれなりに高いのか、その隣には甲冑に身を包んだ金髪の青年が控えている。

「どうか致しましたか?」

 青年騎士が不思議そうに空を見上げた女貴族に尋ねたが、少女と言っても差当たりのない女性は曖昧に笑った。

「いえ、今、何か笑い声が聞こえた気がして……」

 最寄りの村からは随分と離れている。
 そこを出発したのは昨日の朝。既に目では確認できない位置にある。
 辺りは閑散とした野原。
 この二人の他には旅人一人通らないこの道は、人から忌み嫌われる迷いの森へと続いている。
 要するに、笑い声が聞こえるなどそんなことがあるわけがない。

「気のせいだと思います。すみません、心配をかけてしまって」

 軽く頭を下げた女性に、騎士は滅相もないと深く頭を下げた。

「いえ、エステリーゼ様。きっと長旅の疲れが出ているのでしょう。もう少し休憩しましょうか」

 見渡す限り、足の短い緑の野原。
 魔族の隠れる場所も何もないところにござを広げ、この二人は足を休めていた。
 なにかあったら直ぐに対応できるようにと、この先にある迷いの森に備えて。

「そうですね。……お話の続きを聞かせてください、フレン」

 足を休めている間、つまらぬ話でよければと青年騎士――フレンが始めた話。
 元々物語が好きだった彼女は続きをせがんだ。

「二人の少年が仲良くなった後、どうなったんです?」

 フレンは小さく笑った。

「……すごく仲良くなりました。悪魔の子と恐れられていた少年も、徐々に他の子達にも受け入れられていきました。でも……」
「……でも?」
「……ある日、その黒髪の少年は姿を消してしまいました」

 ふと、寂しげに目を細めながら言葉を紡ぐ。

「誰も、少年の行方を知りませんでした。置き手紙も言伝ても何一つ残されること無く、少年はいなくなりました」
「……それから?」

 不安気に眉を下げたエステリーゼに、フレンは小さく首を振った。

「もう一人の少年は必死になって探しましたが、一度も会うことはなく、十年余りが経ちました。そして、少年は騎士になりました。いつも一人でいた、あの少年のような人を助ける為に。いつか、あの少年に会う為に……」

 これでおしまいです。
 渇いたような笑いを含みつつ、物語を締め括った青年騎士は一つ謝った。

「すみません。期待に添えるような話ではなくて……」
「いいえ。そんなことないです」

 慌てて手と首を振ったエステリーゼにフレンはまた謝った。

「すみません。…………急に、誰かに話したくなったんです」

 もう、誰も気にしない、思い出そうともしない、少しの間の友人を。

「エステリーゼ様にお聞かせするようなものではありませんでしたね」

 寂しげに笑い、俯いた彼にエステリーゼは改めて礼を言った。

「お話、ありがとうございました」
「とんでもございません」
「……会えると、いいですね」
「え?」

 ぱちくりと空色の瞳を瞬くフレン。

「いつか、その少年に」
「……は」

 い。
 穏やかに、その願いを発したはずの音は別の音によって掻き消された。
 どすんという鈍い音と地響き。
 何事かと振り向いた二人の目に映ったのは白い塊。
 今まで、存在していなかった筈の物体。

「っ!?」

 魔物かと警戒した二人の前でそれは空に向かって延びた。

「流石に、痛いな……」

 人だ。
 いや、人の姿を取った魔族かもしれない。
 二人は息を潜め様子を伺った。
 低く響く声から察するに、男性だろう。
 腰まで伸びた白銀の髪によって体型はよく読み取れないが、長身であることは分かる。
 不意に白銀が揺れ動き、振り向いた。

「……」

 エステリーゼとフレンの前に現れたのは人とは思えないモノだった。
 作り物のように端正な顔立ち。
 透き通るような白い肌に映える紅瞳。
 突然現れたその人離れした姿。
 その美しさに、ついと見惚れてしまったフレンは意識を取り戻すと剣に手を掛けた。

「……っ」

 スラリと引き抜かれた銀刃に紅瞳の男は悠然と首を振った。

「悪いが、残念ながら私はお前達と同じ人間だ。剣を引いて貰おう」
「…………その、ようですね」

 フレンは大人しく剣を納めた。

「失礼しました」
「いや、構わない。それが仕事だろう」

 ちらりと動いた深紅がエステリーゼを捉える。
 見るからに騎士と貴族の令嬢の二人の関係は火を見るより明らかだ。

「フレン……」
「ご安心ください、エステリーゼ様。この方には私たちが見えていました」

 その一言に男は声を上げて頷いた。

「成る程、法術か」
「ええ、魔族には姿が見えないように術を施しています」

 ですから貴方が人間であることは間違いないでしょう、と言った青年騎士の台詞など、半分も男は聞いていなかった。
 ……不味いな。
 しかし紅瞳の男――デュークがそう思い、策を練る時には既に遅かった。
 何も知らない不味いモノが空からやって来た。

「あー疲れた。もういっそのことここでも良くない?」
「そうね、人もいないし……デュークもそれでいいかしら?」

 人を宙に投げ出しておいてこの台詞。
 しかしそれに対しての恨み言を言うよりも先に二人を逃がさなければ。
 フレンが、背に羽を持つという明らかに人と異なる出で立ちのジュディスとリタに、再び腰の剣を手に取った。
 思っていたよりも早く臨戦態勢を整える青年騎士。
 出来る――等と感心している場合ではない。
 デュークも自らの獲物に手を掛けた。
 が、その二つの刃が交差することは無かった。

「デューク・バンタレイっ!?」

 その場にいた皆が、驚きに満ちた声に動きを止めた。
 知らぬ筈のデュークの名を口にした、令嬢以外。


back  next