**感情は



 気がついたら横になっていた。
 体を起こして、今までの事を反芻したが途中で突っ伏すことになった。
 ……情けない。
 情けなさすぎる。
 今まで気を失っていた理由なんて深く考えたくない。
 が、思い出してしまう。
 然り気無く耳に触れた柔らかな感触。
 微かに掛かる吐息。
 響いた低い声。
 どれもこれも、思い出すだけで赤面ものだ。
 ――耳に、口付けをされたのは初めてかもしれない。
 大抵、デコやら頬やら顔の一部か手にしかされた覚えがない。
 ……いや、別に、他の所にもして欲しいとかそういうのは無い。
 全くと言っていいほど無い。
 無い。……けど、でも。
 ……。
 ……やめだやめ。
 ヘンなこと考えてたらまた顔が熱くなってきた。
 もうヤダ。
 ガキみたいによくわからない駄々を捏ねたくなった身体を勢いよく起こした。
 気分を変えよう。
 それがいい。
 見渡した部屋は変わらずリビングで、どうやらソファに運ばれていたらしい。
 少し離れたところにある机には水が置いてある。
 さっきの飲みかけだろう。
 せっかくだからと残りの水もごくりと飲み干した。
 さすがに生温くなっていて、ちと後悔したがそれでも喉は潤い、いくらか熱は冷めた気がする。
 ……ん?
 そういえば、今は何時だろうか。
 ぱっと見たかぎりでは時計なんてない。
 しかし、記憶にある部屋に比べて少し薄暗く感じもする。
 昼過ぎにここに来たはずなのだから、もう夕暮れ時なのかもしれない。
 なら、もう帰らないと――。

「起きたか」

 ドキリと心臓が跳ねる。
 今のは不可抗力だ。不意打ちだ。
 いや、訂正しよう。
 ただ、驚いただけだ。

「随分、疲れているようだな」
「ん……まぁ、な」

 ふぃと視線をずらして返す。
 ……物凄く気恥ずかしいのだから勘弁して欲しい。

「熱は引いたか?」
「……引いたよ」

 ああもう、誰かオレのために今すぐ穴を用意してくれと頼んだところで無理だろうが、穴があったら是非とも入りたい。

「そうか」

 こんな心臓に悪い空間、早く逃げ出してしまいたい。
 そうは思いながらも、酷く足が重くて嫌になる。

「もう日も暮れる。姿が闇に溶ける前に帰った方がいい」

 帰ることを促されても、肯定の言葉は直ぐに出なかった。
 ついさっきまで帰らなくてはと自分で思っていたくせに、だ。

「……ああ」

 そのせいか。
 普通に発した筈の声は予想以上に小さく、気がないのが自分でもよくわかった。

「……それとも、」
「ん?」
「一晩、ここで体を休めるか?」
「え」

 今、なんて言った?

「明日も仕事は無いのだろう?ならば、ここで休息を取っても構わないのでは?」

 ここに?
 一晩?
 ……。……。……。

「むっ、むりむりむりぃっ!」
「私の事なら気にしなくても良い」

 全力で断りを入れたが、デュークは何故か引き留めた。

「夜は獣の時間だ。先は帰った方がいいとは言ったが、ここにいた方が安全なのは確かだ」

 あくまでも真面目な顔をして言うデュークにも一理あるが、そんなことはできない。

「そ、それ、あれ、ラピードも、宿で待ってるしっ」

 動揺しすぎだとはわかっていてもどうやら口は勝手が違うらしい。

「帰りゅっ、ィてっ」

 物凄く微妙なところで舌を噛んだ。
 おもくそ噛んだ。
 恥ずかしさで死ねるなら今確実に死んでいた。
 微妙に鉄の味が染みる。
 泣けるもんなら泣きたくなってきた。

「そうか」
「……おう」

 突っ込みのない事に感謝していいのかどうなのか。
 ……マジ、どっかに穴は無いのか。

「途中まで送ろう」

 言うが早く、歩き始めたデュークに遅れて外へ出る。
 ひんやりとした風が頬を撫ぜた。
 闇色に混じり、強烈な赤が見え隠れしている。
 思っていた以上に時間は経っていたらしい。

「こっちだ」
「え?」

 来た時の道を引き返すのかと思いきや、いきなり道が逸れた。
 案内されるまま、またも知らぬ森中を歩かされてこれまた意外なことに数分。
 視界が開けた。
 紺碧。
 波打つ水音。
 香る塩風。
 海だ。

「この崖沿いに真っ直ぐ進め。そのうちダングレストに出る筈だ」
「そうなのか……って……?」

 指された方向を見ればなだらかな坂が上り下りと続いている。
 思い返したのは行きの道のり。
 跳んだり跳ねたり掴んだりと結構なアトラクションを体験した森中。

「……最初っからこっちの道案内しろよ」

 明らかにこっちの方が楽そうな道程だ。
 よくよく見れば大樹の横からも直ぐに出れそうにも見える。
 実際にどうかはわからないが、どこかしらかでこの道に出れたのは間違いないだろう。
 ここを最初から案内されていればうっかりカッコイイとかなんとかかんとか、変なコト考えずに済んだものをと思い、思わず眉を寄せた。

「すまない」
「いや、真面目に謝られても困んだけど」
「少し………………から」
「……ん?」

 ぽそりとデュークの口が動いたのに対して首を捻ると、デュークはまた口を開いた。

「少し、お前と話がしたかったから……すまない」

 呆けたオレのどこに非があるのだろうか。

「話すのも億劫なほど、目に見えて疲れていたのは解っていたのだが、まさか倒れる程とは思っていなかった」

 億劫というかなんというか……、むしろそれの原因の大半はデュークなのだが、知る由もない本人はいつもと変わりない能面。

「すまない」

 だが、どこかもわからず、いつもと違って見えたそれ。
 なんとも言えないものが胸に染みた気がした。

「……私は、暫くここに居る」

 不意に外れた視線は森の奥へと向けられた。

「もし都合が付くのであれば……今日の詫びがしたい」

 その言葉になんて返したのか、覚えてない。
 別れ際の台詞も覚えていない。
 ただ、気付いたら走り出していて、何もかもを振り切りたくて、やるせなくて――。
 ぼんやりと光る街が近く見えた頃、肩で息をするオレの前にはラピードがいた。








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感情は、止められない。