やめた日
結局、金を返そうと決めてから三日が経ってしまったが、重たい足を引きずるように歩き、あの男の住むマンションに再び足を運んだ。
時刻は、前よりも早い時間。
新聞配達もまだ来ていないらしい早朝だ。
幸い、ポストはエントランス。
ぽいと放り込めば直ぐに終る。
小さなポストに全部入るか分からないが、これまた幸い、一応封筒に入ったまま口から押し込む事ができた。
一つずつ、カシャン、カシャンとポストに飲み込まれていく。
男と一緒に過ごした夜の数だけの封筒は思っていたより少なかったのか、手元にはもう一つしかない。
「…………っ」
押し込んだ。
もう、用はない。
丁度本業の配達人が来たのか、自動ドアが開いた微かな機械音が鳴った。
帰ろう。
踵を返した、途端、衝撃。
視界が真っ暗になった。
「!?」
頭の中は突然の事に真っ白でよく回らない。
身体が強く締め付けられたと思ったら、視界が開けた。
が、今度は無理矢理腕が引かれ、棒立ちの足が転けまいとそれに従い勝手に歩き始めた。
混乱している頭が状況を把握できたのは、エレベーターに連れ込まれ、再び身体を抱き締められた時ではなく、そこから降りて数歩した後だ。
「ま……、待て。待てよ、離せっ」
振りほどこうとした手は腕に食い込みビクともしない。
遂には引きずられるまま扉をくぐり、数日前まで通い詰めていた部屋に着いてしまった。
目の前には、部屋の主もいる。
男はオレの腕を強く握ったまま向き直った。
たった数日会っていなかっただけで久しいと感じるのはおかしいのだろうか。
「……手、離せよ。痛い」
真っ直ぐに見られて、居心地が悪い。
綺麗な目に映るのが酷く居心地悪い。
この腕が自由になったら、早く帰ろう。
もう、終わったのだから。
しかし、男はオレの腕を離しはしなかった。
「離したら、行くのだろう?」
どころか、心まで読んでいた。
「……」
「行ってどうする」
なにも。
なにも、ない。
答えられない問いに閉口していると、男は再びオレの腕を引いて部屋の奥へと進んだ。
外見からは考えられない力に逆らえないまま連れられる。
先には寝具が一つ。
引かれるまま、やわらかなそこに体が沈む。
横になると、腕は解かれたが頭を抱えられた。
「っ離せよ」
「寝ていないのだろう」
「!」
思わずもがいていた体が硬直した。
「な……、んで……」
「私も、眠れていない」
ぎゅぅっと再び締め付けられて、ヒヤリと冷えた肌が密着した。
「寝ろ。……酷い顔だ」
頭を更に強く男の胸板に押し付けられ、息が苦しい。
のに、心地よくて、離れたいのに、離せなくて、突き離そうとしていたのにいつの間にか自ら男にしがみついていた。
それに気が付いたのは、未だ目を閉じている男の隣で目覚めた時で、強く握り締めてくしゃくしゃになった男のシャツを見ては自己嫌悪に浸った。
もう、終わってるのに――。
オレはそのまま、男の目が覚めるまで動けなかった。